「て」 丁寧な言葉のその裏に

「……わあ」

 少女は、空を見上げて感嘆の声を漏らした。
 背の高い木々の合間から、虹色の光が染み渡り、空はミルク色に輝いていた。
 今まで聴いたことのない不思議な鳥の鳴き声が辺りに響き、薄く光る胞子が視界の中で舞っている。
 大人にとっては奇妙な森、子供にとっては不思議な森。少女は今、話でしか聞いたことのなかった場所に立っていた。

「ここで、『石』を探すんだよね……?」

 武者震いか恐怖か、震える両手を擦り合わせながら、少女は一歩一歩、前へと進んでいった。
 少女の、金に近い茶色の髪がふわふわと風になびき、僅かに尖った耳がそこから顔をのぞかせる。人間と比べ小柄な身体に、こぼれそうなほど大きな藍色の瞳が輝く愛らしい顔。
 彼女は、石の精と呼ばれる種族の一つから生まれた、娘だった。

「ちゃんと、探せるかな……」

 胸元からかかる金色の鎖を握り締め、少女――ニーフェは呟いた。
 当然あるべきであろう鎖の先には、空白の台座があるだけで、肝心の宝石は収まっていない。

 その“宝石”を探すのが、その年十五になる一族の者全てが受けなければならない成人の儀式だった。

 ニーフェは両手を前にかざし、目を閉じる。
 耳をそばだてて、石が奏でる歌を聴こうと努力する。高密度の幻力を宿した石――幻石は、高い音を奏でるように、石の精には感じられる。その幻石を加工して、様々な装飾品や、幻具の動力となる動石を作り出すことで彼女たちの一族は栄えていた。
 ニーフェがどんな小さな音も聞き逃すまいと集中していると、西の方から、僅かに石たちの奏でる歌が聴こえてきた。彼女はその音に招かれるように、歩き出す。

 周りの美しい光景と、これから出会う『石』への期待で、ニーフェは足取り軽く森を進んでいく。
 幻石たちの奏でる合唱は、ささやかながらも優しく、しかし耳障りにならない不思議な高音で、彼女を森の奥へ奥へと引き込んでく。ニーフェは、全くその様子に不安など抱くことなく、すいすいと草を踏んで歩いていった。
 何故ならこの森は、数え切れないほどの年月、彼女の一族が儀式用に守ってきた場所であり、彼女の身に着ける香は、獣を一時的に遠ざける。だからこそ、身の危険を感じることなく、彼女は散策を楽しんでいた。

「あ」

 すぐ近くで、石の歌が聴こえた。
 歌が最もよく聴こえる位置にしゃがみ込んで草をかき分けると、頭一つ分程度の大きさの岩が顔を出す。その岩の一部から、歌は聴こえていた。

「んー……」

 ニーフェは耳を澄まして、歌に集中する。
 何か違う。
 彼女はそう感じた。
 首を振って彼女を立ち上がると、別の歌に向かって歩き出した。

 彼女たちが探すべき『石』とは、幻石の中でも特別な、『宿石』になる石。
 高密度の幻力を維持したまま石を原石から取り出すには、石の精に保護の術をかけてもらう必要がある。だが、石の精は自由に身動きを取ることが出来ない。そこで、石の精を一度『宿石』と呼ばれる石に仮宿りさせることで、彼らを大地の束縛から解放する。石の精が一定の年月宿った『宿石』はやがて地に帰り、次の世代の精を育む力になる。そうやって、彼女達と石の精は共生しているのだ。
 だから一人前になるには、まず宿石を探し出し、その後で相棒となる石の精を見つけることが必要となる。
 宿石と石の精、どちらも自分に合わなければ力を発揮しないから、手を抜くことは出来ない。

 ニーフェは、次々と石を見、首を振り、さらに次の石へと歩き続けた。

「中々、難しいなあ」

 汗をぬぐいながら、彼女は呟いた。
 目の前に石を並べられてそこから選ぶのではなく、広大な森の中から一つの石を選ぶというのは、思ったより難しかった。
 いいと思う石があっても、それが自分の石と呼べるかと問われれば疑問が浮かび、そんな疑問が浮かぶようでは『宿石』にはなり得ない。

「……疲れた」

 日が落ちないこの森では、明るさから時間を割り出すことが出来ない。
 だが、じくじくと痛む足の状態からして、森に入ってから大分時間が経っているのは確かだった。最初の方はうきうきと口から飛び出ていた鼻歌も、今ではため息しか出てこない。

「ちょっと休憩――ひっ!?」

 休もうと、草むらから突き出た岩に腰をかけようとした彼女の視界で、何かが飛び跳ねた。
 びくりと身体を震わせてそちらを見れば、白いウサギが微妙な距離を保って彼女を見つめていた。真紅色の瞳が、警戒するように彼女を見据える。
 年頃の少女らしく、ニーフェはハートを目に宿しながら、身を乗り出した。

「あれ?」

 当然のことながら、ウサギは彼女から逃げるように走り出す。
 先ほどまでの疲労は何処へやら、ニーフェは嬉々として立ち上がると、ウサギの後を追いかけ始めた。
 草むらをかき分け、木々の間を縫い、見失いかけては再び現れるウサギの影を追っていく。

「!」

 そうやって追っていく途中、彼女は一際大きな石の歌を聴いた。
 高く鋭く、それでいて不思議な力を持つ歌は、彼女の意識を丸ごと奪い去った。鼓動が、不自然なほどに高まり、背筋がぞくりと粟立った。
 説明が出来ないほど彼女の心に訴えかけるその旋律は、周りの音を掻き消すほどに蠱惑的。
 ウサギのことなど忘れ、ニーフェは一心にその歌目掛けて走り始めた。

 やがて、白い幹と薄紫の葉を持つ木の傍に、彼女の背丈と同じ位の巨大な石を見つけた。

「ここ?」

 声は岩から聞こえるようで、何処となく違う。
 ニーフェは岩の周りをぐるぐると回りながら、どの場所から歌が聴こえるのか見つけようとした。だが、歌は確かにこの辺りから聴こえるのに、岩から宿石を見出すことが出来ない。
 彼女は顔を顰め、腰に手を当てて息をつく。
 頭の中では歌が、彼女を圧倒するほど素晴らしい歌が聴こえるというのに、その肝心の居場所が分からないだなんて。ニーフェは苛々と唇を噛んだ。

「諦めたくはないし……ん?」

 視界の端で、白いものが動いた。
 先ほど彼女が追いかけていたのと同じかどうかは分からないが、白兎が、木の幹から尾を覗かせている。白い幹と同化していて、彼女は今まで全く気がつかなかった。
 少しそちらに足を向ければ、その気配に気がついたのか、ウサギが木の陰に消える。

「また――あ!?」

 木の陰に、ウサギ穴が開いていた。どうやら先ほどのウサギは、ここに逃げ込んだらしい。
 だが、問題はそこではなかった。

「あった!」

 ウサギ穴の横に、随分と小さな石が転がっており、歌はそこから聴こえてくるようだった。
 ニーフェがしゃがみ込んでその石を拾い上げると、石の中心部が鈍く輝いている。
 彼女は満面の笑みを浮かべながら、それでも何故か緊張して目を閉じ、耳を石に近づける。

 歌が、波のようにその石から発せられていた。

 ニーフェは安堵と達成感から、その場にしゃがみ込み、膝の上にその石を乗せた。
 彼女が石を撫でると、無機物のはずの石が、何故か膝の上で脈打つように感じられた。

 不思議だと、彼女は思う。
 ただの宝石の原石とは異なり、宿石はこのようにただの道端の石が転じることも多い。彼女達石の精の一族ですら、どのような原理で宿石が生まれるのかは分かっていない。
 しかしここで問題なのは、これが彼女の宿石――そう感じる直感だけ。

 ニーフェは腰に下げていた鞄の中から一本の短剣を取り出すと、鞘から抜き放った。
 ガラスのように透明な刀身を持つその剣は、一族の秘法により鍛錬された特別な品だった。これを用いて、宿石を原石から取り出す。
 彼女は短剣を右手に構えると、来る痛みに備えて少し身を引き、刀身を左手の指先に走らせた。

「っ」

 切られた場所からうっすらと血が滲み、透明な刃に赤い線を残す。
 ニーフェは数回深呼吸を繰り返すと、耳が痛くなるほど聞かされた特別な呪を口に出し、刃を真っ直ぐ石に当てた。
 石は、まるでバターを切るように易々と、刃を受け入れた。
 中心部近くで刃が止まったのを感じると、ニーフェはそのまま横にずらし、宿石に必要のない部分をそぎ落としていく。同様の作業を数十回繰り返した頃には、鈍く輝く赤い石だけが残された。まだ少々灰色の部分が残ってはいるが、この程度ならば問題ない。
 彼女は短剣を大地に横たえると、首に下がった石の入っていないペンダントをその刃の上に置き、ペンダントの台座の上に、さらに赤い石を置く。
 そしてまだ乾ききらない血のついた指先で石に触れると、口を開いた。

「――『ここに石の絆を結ぶ』」

 彼女の一族の言葉でそう呟くと、指の下で石は柔らかい粘土のようになり、その元の形を変えて、台座にぴたりとはまり込んだ。
 彼女が手を離せば、石はぐつぐつと表面を波立たせ、やがて鈍く放っていた光が消えると同時に、つるりとした静かな流線を描く表面に落ち着いた。

「……出来た……」

 宿石が、手に入った。ニーフェは、ペンダントを食い入るように見つめたまま、小さく呟いた。

「出来た……出来た!!」

 最後には大声で歓喜の声を上げると、汗の滲む両手を服で乱暴にぬぐい、恐る恐るペンダントへと両手を伸ばす。
 しかし、彼女がそれに指を触れる寸前、すぐ傍で草を踏む音が聞こえた。

「――え?」

 ペンダントから顔を上げて前を見ると、そこに、白いウサギが両足を揃えて座っていた。

「さっきのウサギ?」

 きょとんとニーフェがウサギを見返すと、ウサギは先ほどまでとは打って変わり、逃げる様子もなくそこに佇んでいた。
 それに奇妙な感覚を覚えつつも、ニーフェはウサギを見たままペンダントを手に取る。
 鎖に手を這わせ、慎重にペンダントを身につける間も、ウサギはそこに佇んだままだった。

 首を傾げながらニーフェが立ち上がり、ウサギに背を向けたとき、初めてそれは動いた。

「よくお似合いです」
「!?」


 彼女の物ではない低い声が、後ろから聞こえた。
 慌ててニーフェが振り向いても、そこには誰もいない。

「な、何……?」

 周りをどんなに見回しても、そこには誰の人影も見て取れなかった。
 先ほどまでの興奮も何処へやら、急に悪寒を覚え始め、ニーフェはペンダントを無意識に握り締めた。

「赤が、よくお似合いになると申し上げました」

 やっぱり誰かいると、ニーフェはペンダントをきつく握り締めて、前後左右、余すところなく確認したが、誰かがいる気配は案の定ない。
 彼女は煩いほどの音を出す心臓を押さえるように、身体を小さくして何処から来るともしれない、相手を警戒した。

「どちらをご確認ですか? 私はこちらです、我が主」
「な……っ!?」

 彼女と比べれば随分と小さなウサギが、彼女を見上げて話しかけていた。

「愛らしい姿と、何よりも素晴らしい声をお持ちだ……。主として迎えるに、何の申し分もない」

 彼女の見間違いでも勘違いでもなく、確かにウサギが彼女に話しかけている。
 ウサギが喋るだけなら、さほど問題はない。だが、ウサギが言った言葉が問題だった。
 可愛らしく見えたウサギの姿が、急に恐ろしく見え、ニーフェは思わず後ずさった。それを追う様に、逆にウサギは彼女に向かって足を進める。

「何を恐れるのです? 既に契約は成され、私は貴女の忠実な僕」
「い、や……」

 相手は小さなウサギだというのに、ニーフェはがたがたと震える身体を両手で抱きしめながら、少しでも距離を置こうと足を後ろに回す。「まさか」という声が、彼女の頭の中で痛いほどに鳴り響き始めた。

「逃げる必要などありません。僕である私が、何故主である貴女を傷つけたりしましょうか?」
「いやああああ!!」

 ニーフェは耐えられず、両耳を手で塞ぎ、ウサギに背を向けて走り出した。
 疲労も何もかも忘れ、全速力でとにかくその場から逃げ出そうと森を駆ける。

 だが、声はすぐ近くから聞こえた。

「貴女は“私の”宿石を選ばれた。契約が解除されるその時まで、私は何処へなりともお供致しましょう」

 すぐ左――彼女の左肩の上に、ウサギが座っていた。
 揺れる不安定なニーフェの身体も関係なくウサギは座っているのに、彼女は全く重さを感じなかった。
 ウサギが喋るという点も加え、そんなウサギがこの世に存在するわけはない。

『私の宿石』

 ウサギの言葉が、ニーフェの頭の中で何度も再生される。
 彼女は何処へともなく走り出しながら、考えたくない一つの結論を導き出した。

(魔宿の石……)

 誰しも天敵は存在する。
 彼女達の一族も例外ではなく、ごく稀に空の宿石ではなく、既に魔物が宿った石――『魔宿の石』と絆を結んでしまう者がいた。魔物は石の精と違い、幻石の採取には当然協力しない上、一度結んでしまった絆は、そう簡単には解除されない。
 解除には一定量の幻石を魔物に捧げ、魔物を宿石から解放する必要があるが、それは同時に強力な魔物を世に放つことを意味している。
 貴重な幻石を消耗し、魔物を生む者。当然、そんな者が一族から歓迎されるわけもなく、魔宿の石と契約した者は、『魔宿の者』として蔑視、そして殆どの場合、一族から追放されていた。

(そんな、の……っ)

 世界が突然、灰色に見えるようだった。
 きっと立派な一人前になって、家族が誇れるような大人になりたいと希望を抱いて森に来たのに、その夢が突然奪われた。
 絶望から足がもつれ、視界が歪んでいく中、ニーフェは誰かに抱きとめられる感覚を最後に、瞳を閉じた。


 * * * 


「――ハルト、邪魔」

 目の前でしゃがみ込んでいる大きな影に向かって、彼女は足を振り上げた。
 避ける気があれば当然避けられるはずの緩慢としたその動作を、相手は全く気にすることなく背中で受け止めた。
 巨大な塊が、彼女が蹴った方向に倒れこむ。

「ああ……愛のムチ」

 ぼそりと、塊――蹴られて両手両膝を突いた男が、つぶやいた。
 その言葉に含まれた喜びの感情に、彼女はげんなりとする。

「毎日毎日、人が起きる時間に合わせて床掃除なんて始めないでよ」

 雑巾とバケツの横で固まる男に再三告げた言葉を彼女が繰り返せば、男は清清しいほどはっきりと言い放つ。

「そこはそれ、ニーフェさんからの愛の一撃をいち早く受けたいというこの情熱を阻むものなど何もなし」
「ええい、朝っぱらから気持ちの悪い男ね」

 目の前できらきらと瞳を輝かせる男に、ニーフェは心底疲労感を覚えた。
 ハルトと呼ばれた彼は“いい”笑顔を浮かべて雑巾を拾い上げて立ち上がった。

 白い肌に見事な金色の髪を持つハルトは、中性的な顔立ちを持つ背の高い男性だった。白いスーツを何処でも身に着け、柔らかな物腰をしたハルトは、町で出会ったなら上流階級の人と勘違いしたかもしれない。
 もっとも、シャツの上にスーツではなく白い割烹着を身に着け、既に彼の真っ当とは言いがたい性格を知ってしまった今では、全く意味を成さない仮定だが。

(……何でこの見た目に、この変態的な性格なのかしら)

 げんなりとした表情を崩さないまま彼を見て考え込んでいると、ハルトは「罵るのなら是非声に出してお願いします……!」と哀願するような目でニーフェを見つめてくる。

「……」

 顔を引き攣らせながら、ニーフェはハルトに背を向けて浴室へ足を向けた。こんなところで朝から時間を潰している場合ではない。
 彼女は小走りで洗面所へと駆け込むと、身支度を短時間で整え、扉を開ける。
 ワンルームの彼女の部屋は、浴室と多少の収納を除けば、殆ど仕切りがない。洗面所から出たニーフェが二人用の小さな机を見れば、そこには既に朝食が並んでいた。
 パンにスープ、色鮮やかなフルーツが並ぶ食卓は、起きぬけで食欲のあまりない彼女に合わせて軽めに出来ている。

「……ありがと」

 ニーフェは机の前に立つ男にちらりと視線を向けて、小さく礼を言った。

「いえ、ニーフェさんの為にはこの程度のこと」
「…………」

 ハルトは、さも当然とばかりに微笑んだが、その笑顔にニーフェは逆に疲労感を覚える。
 この男が、純粋に彼女の為に何かをするわけがない。必ずそこには、『ひいては自分の為』という本意が見え隠れする。まあ、隠す気などさらさらないのだろうが。

「そんな顔されてますと、皺になりますよ?」
「うるさいわね、馬鹿ウサギ」

 彼女の罵倒に、逆に嬉しそうな表情を浮かべるハルトを見て、彼女は余計疲れを覚えた。大きくため息をつき、ぶどうにフォークを突き立てる。そんな事をしても苛立ちは収まらないのだが、何かにぶつけないと鬱憤が山になるだけだ。

「今朝はどうされたんです? 随分とご機嫌が――まさか、何か私に不手際が? でしたらどうぞ罵倒を、お叱りを直接私に! さあ!」
「気色悪いことしないで、違うんだから!」

 どうぞとばかりに両手を広げる彼に、食卓のかごに入っていたりんごを投げつければ、彼はぶつけられたりんごを握り締め「これも愛」と怪しい言葉を呟いている。
 見慣れた光景だが、ニーフェはいつものようにそれを見てげっそりした。相手にしていても疲れるだけだと分かっているのに、つっこまずにいられないのは、もはや彼女の性分なので手の施しようがない。

「……夢見が悪かっただけよ」
「夢、ですか?」

 いつの間にか背後に回り、彼女の髪を動きやすいよう束ね始めた男に構わず、今朝方見た夢を思い出してニーフェはため息をついた。

「そう。成人の儀の時の夢を、ちょっとね」
「ああ、私とニーフェさんの運命の出会――」
「ごちそうさま」
「……お粗末さまです」

 いつも通りしくしくと泣きまねをするハルトを軽く無視して、彼女は席を立った。


 一時間後、ニーフェはお茶の香りのする店内で、腕を組みながら掲示板を凝視していた。

「中々いいのがないわね……」
「では、今日はお休みということで」
「却下」

 左肩の上で、ウサギの姿になったハルトが、残念そうに声を上げた。
 彼は基本的に、仮宿にしている宿舎の部屋以外では、ウサギの姿になっていることが多い。理由は……分かりきっている。

 彼の発言を無視して、ニーフェは幻石の採取場所の情報が張られた掲示板に、再度目をやった。
 魔宿の石を持つ者は、普通の者のように幻石を採取することができない。その代わりに魔物の力を借りる事が出来る彼らは、通常なら避けて通るような場所――魔物や凶暴な獣が発生する場所などで問題を取り除き、採取ルートの確保を行う。普通なら傭兵たちの仕事なのかもしれないが、幻石の採取場所は一族以外に知らせてはいけないから、嫌々ながら一族の者達も、ニーフェのような魔宿の者に頼る他ないのだろう。ニーフェ達も報酬として、金品の他、幻石の一部を魔物に捧げる事が許されるから、決して損なわけではない。
 そしてここは、訳ありの妖精族が集う隠し集落の一つだった。

「さっさと幻石を集めて、あなたを切り離すんだから、休んでなんていられないの」
「そんな無理に解除されなくても、私は何時まででもベッドから浴室までお供いたしますよ?」
「気色悪い」

 べちりとウサギの額を叩けば、手のひらの下から「ああ……スキンシップ……っ」と恍惚とした声が聞こえた気がした。
 ニーフェは気のせいということにしておこうと、彼の頭をやや強すぎる力で押さえたまま、もう一方の壁に取り付けられた掲示板を確認しようと振り向いた。

「きゃっ!?」
「え!?」

 特に意識せず振り返ったニーフェの手に何かを叩く振動が伝わると同時に、ガチャガチャと床に何かが落ちる音が聞こえてきた。

「え、あ……っ、ごめんなさい!」

 慌てて相手を確認すれば、黒髪を首元で二つに縛った女性が、驚いた顔で立っていた。どうやらニーフェは、彼女を運悪く叩いてしまったらしい。女性の横で、茶色の豹に似た動物が、体勢を低くして唸っている。彼女の首元にはニーフェ同様宿石がぶら下がっているから、この豹らしき生き物も、魔物なんだろう。
 とにかくニーフェは慌てて床にしゃがみ込み、床に散らばった女性の荷物を拾い始める。

「本当にごめんなさい……!」

 ニーフェが頭を下げながら品物を拾っていくと、その女性が前に座り込む気配がした。

「あ……いえ、大丈夫です。気にしないでくださいー」

 全く大丈夫とは思えないような弱弱しい声で、女性はニーフェに声をかけた。
 ちらりとニーフェが顔を上げれば、大きな眼鏡をかけた同い年位の女性が、決まり悪そうに微笑んでいた。

「でも……」
「この位大した事ありませんよー。前を見てなかった私も悪いんですからぁ」

 女性は本当にあまり気にしていないようで、のんびりとした様子で眼鏡を押し上げながら手を振った。
 拾った物を女性に渡したニーフェは一瞬考えて、そして片手を差し出した。

「私は、ニーフェ。もし何か壊れた物とかありましたら、報せて下さい。当分ここに滞在しますから」
「ニーフェ……?」

 きょとんとしながらニーフェの手を握り返した女性は、しばらくニーフェを眺めたあと、「あ」と手を叩いた。

「噂の、猛獣系小動物のニーフェさんですかぁ?」
「…………“猛獣系小動物”?」

 ひくりと、ニーフェの顔が引きつった。
 相手は全く悪びれもなく、楽しそうに笑った。

「マスターが言ってましたぁ。見た目はとっても可愛らしいのに、中身は獅子より恐ろしいって」
「…………」

 ニーフェは拳を思い切り握り締め、心の中でこの小さな食堂兼情報所の主人を呪った。

「私はヌイって言います。二日前からここで働き始めましたので、よろしくお願いしますー」

 ニーフェの感情に気付く様子もなく、ヌイと名乗った女性は朗らかな顔で軽く頭を下げた。ニーフェも合わせて、軽く会釈する。
 魔宿の者が全員ニーフェのように幻石採取で暮らしているわけではない。中にはヌイのように、魔宿の石を使わず、普通の生活を送る者もいる。

「そうだ、ニーフェさん、こちらはいかがですかぁ?」
「?」

 ヌイが差し出した紙に目を通すと、そこには掲示板にない幻石の採取場所が記されていた。どうやらこれから掲示するところだったのだろう。

「新しい採取場所の、真偽確認……結構ここから近いのね」
「はいー。獣が出る可能性はありますけど、日帰りできますから、早い者勝ちですぅ」

 ニーフェは再度紙を熟読し、ちらりと肩の上のハルトに視線を向けた。
 彼は、何も言わずに彼女を見つめ返す。

(警戒する必要はないのかしら?)

 魔物とはいえ、ニーフェを何故か気に入ってくれているハルトは、相当危険な物件であれば、何かしら口を挟むが、今回は特にそんな様子は示さない。
 ニーフェはしばらく黙って考え込んだ後、大きく頷いた。

「じゃあこれ、引き受けるわね」
「ありがとうございますー! それでは、こちらで手続きをお願いしますぅ」

 ニーフェは立ち上がると、必要な手続きを行うべく、ヌイの後に続いた。


「……何か、おかしいわ」
「何がです? 特に凶暴な獣も出ず、幻力の淀みもなく、至極順調だと思うのですが」

 ニーフェは眉間に皺を寄せて森を歩きながら、顎に手を当てた。そんな彼女を、ウサギのヒゲをひくひくと動かしながら、ハルトが覗き込む。

「だからよ。順調すぎて、気味が悪いの」
「何もないことが不満だなんて、ニーフェさんは意外に被虐趣味――」

 ハルトの言葉を、ニーフェは無理矢理彼の頭を掴んで止めた。もごもごと、ハルトが手をどかそうと頭を動かしているが、ニーフェは全く力を緩めない。

「くだらないこと言わないで。別にただ順調なだけなら、私だって何も言わないわよ」
「つまり?」
「何か、違和感を感じるのよね、この依頼」

 ニーフェは森を観察しながら、注意深くそれでも足を進める。
 じっと何かを期待してハルトを見つめたが、白ウサギはひくひくとひげをそよがせるだけだった。

(ハルトもハルトで、何かおかしいのよね)

 彼女とハルトは、もう組んで随分と長い。
 童顔のせいで少女のように見られがちなニーフェだが、実年齢は見た目ほど若くない。だからこそ、普通な様子に見えるハルトの所作に、何処かしら違和感を感じるのだ。
 白いウサギと言えど、軽く三桁を超えて生きる魔物の彼が、虎視眈々と彼女を陥れる機会を狙っているのは、彼女だって重々承知している。

「何か隠してない?」
「私は何時でも、貴女の忠実な僕ですよ。お疑いなら、どうぞ私の身体に聞いてください。ええ、是非とも」
「……忘れて」

 仮にハルトが何かを隠しているとしたら、素直に言うわけがない。
 彼女は馬鹿正直に彼に尋ねてしまった自分も、森の雰囲気に飲まれているのかとうんざりした。

 森をそれから更に進んだところで、ようやく石の歌が聴こえてきた。
 合唱と言えるほど多くはないが、決して少なくはない音量から、中々良い量の幻石が眠っているようだ。

「とりあえず、進むしかないわよね」
「その前向きさ加減が、ニーフェさんらしい」

 僅かにいつもと違うトーンで、ハルトは同意した。
 それにやや顔を顰めながら、ニーフェは水晶の短剣を握り締めると、音のする方角へと足を向けた。


 そうやって音のする方角へと進んでいった彼女の目の前に、ぽっかりと口を開ける洞窟が現れた。
 どうやら幻石は、この先にあるようだ。

「どうしますか?」

 ハルトが、念のためにと彼女に声をかける。
 石と呼ばれるだけあって、幻石は鉱脈に関わることが多い。彼女も、幾度となくこうして名もなき洞穴に潜ってきた。
 だから今回も、例外ではないとばかりに、彼女は小さく警鐘を上げ続ける心の声を無視して、ハルトにランタンを渡した。彼も慣れた様子で口に咥えると、定位置であるニーフェの肩に乗る。
 幾度となく繰り返した準備工程を終え、暗い穴の中へと二人は入っていった。

「――一本道、なのかしら?」
「そのようですね」

 普段なら洞窟内は複雑に道が絡み合い、その影響でニーフェが聞き取る歌も様々に反響し、発生源を探ることが難しい。
 だが今回は、多少の乱れはあるものの、音は素直に彼女に運ばれてくる。洞穴内部は、さほど入り組んでいはいないらしい。

 数十分間ほど、かつかつと靴の音を響かせながら、真っ直ぐに道を辿っていけば、不自然なほどに拓かれた広大な空間にたどり着いた。
 周囲には、錆が浮き上がった採掘道具が散らばっている。昔は採掘場だったようだが、放棄されて短くない歳月が経っているようだ。

 ニーフェは注意深く周囲を観察し、ざっと危険がないことを確認してから、一番近い歌の主に向かった。

「――うん、いい石だわ」

 採掘途中の、不自然に崩れた壁に埋まった石だったが、中々の量の幻力を含有していた。これなら、付近にある幻石も、それなりの質が期待できる。
 ニーフェは、耳を澄まして石の奏でる歌に集中した。

「……ざっと、十二、三っていったところかしら」
「ちっ、結構大量ですね」
「舌打ちは止めなさい」

 絆さえ結んであれば、虎視眈々と取引の機会を狙える魔物の立場から言えば、彼らの絆を切るのに役立つ幻石は、決して歓迎できないものだ。ハルトも例外ではなく、幻石が見つかるたびに舌打ちしている。
 ニーフェはそんなハルトを横目で睨んでため息をつくと、肩をすくめて最も幻力を保有していそうな石の値踏みに入った。
 魔宿の者の取り分は、総量から二割。今回は二つ分だ。
 少しでも良い石を手に入れようと集中する彼女の耳に、微かに幻石とは別種の音が届いた。

「……え?」

 聴こえるはずのないその音に、ニーフェは怪訝な顔をして立ち止まった。

「ニーフェさん?」

 肩の上で、ハルトが首を傾げる。
 ニーフェは「しっ」とハルトに黙るよう手を上げると、そのか細い低音にだけ集中する。
 やがてその出所を確信すると、ニーフェは洞窟の中央――僅かに床から岩がせり出している部分に、駆け寄った。

「――やっぱり、誰かの宿石だわ!」
「宿石?」

 彼女が持っている物と同様の装飾が成されたペンダントが、岩に引っかかるようにして残されていた。
 宿石は、所有者本人が身に着けていなければ、その中に宿る石の精も、魔物も姿を現すことが出来ない。だからこそ、彼女達の一族はこのペンダントを何よりも――それこそ時には命に並ぶほど大切にしているのだ。失くすなど、ありえない。

「魔物も、石の精もいないみたい。でも、そんなわけない……」
「……」

 ニーフェが知る限り、魔物や石の精が宿石から消える条件は、二つだけ。一定の年月後に石の精が地に還るか、幻石を十分に注いで魔物との絆を切るかだ。どちらにしろ、宿石となった幻石は消滅するから、こんな所に抜け殻となって捨て置かれるはずがない。
 彼女は言い知れぬ不安で顔を顰めて、それでも何か原因を明らかにするものはないかと、そのペンダントをあらゆる角度から観察する。
 何故か心臓の音が煩いくらいに耳に響いていた。

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