「壱」 善行蛮行



 その日、コウは必要な材料を取りに山に入った。

 鍛冶師見習いである彼女は、茶色の髪を肩で揺らしながら、必要な鉱石を採取して山を下りるところだった。
 勝手知ったる何とやら、彼女は軽快な足取りで緩急の厳しい山道をすいすいと下っていく。

「……?」
 
 乱立する木々の間を駆け抜けていたとき、コウの耳に何かが飛び込んだ。
 耳を澄まして、辺りをうかがう。

 平然と出入りしているが、山は決して安全なわけではない。
 彼女は腰に差した脇差に手をかけると、何かに備えて重心を下げた。

「……」

 しかし、近くでは木々が葉を擦り合わせる音以外、何もしない。

(気のせい?)

 そう、コウが警戒を解こうとしたときだった。

「!」

 遠く――西の方から、金属音が響いてくる。

(これは――剣戟の音だ!)

 判断するが早いか、コウは武器から手を離して音のする方向へと駆け出した。
 田舎育ち、かつ鍛冶師見習いとして、耳を鍛えてきたコウにとって、剣の立てる音は非常に身近なものだった。

 だからこそ、この持ち主達が、本気で争っている様子が聞き取れる。

(止んだ?)

 息を切らせて向かう途中、剣戟の音が唐突に止んだ。
 この状態で音が止むというのは、諍いが収まったか、決着がついてしまったのどちらか。

 土煙を立てながら斜面を下っていると、山中の少し開けた場所に、何かが見えた。

「!?」

 揺れる視界の中で見て取れたのは、人の姿。
 転がる石と共に平らな地面に着地すると、コウは目を見張った。

「大丈夫ですか!?」

 これほどに狭い空間の中に、五人もの人間が地に伏していた。
 その中の一人に、コウは声をかける。

 しかし、返事はない。

 旅装束を身に着けた男は既に息絶えており、虚ろに開いた口からは、息が絶えて久しいようだった。

「っ」

 コウは悔しげにため息をついて男を横たえると、周りを見回した。
 倒れているのは全員男性。通常の着物を着た男が三人と、黒染めの着物を着た男が二人。
 その誰もが、血を帯び、武器を構えたまま動かなくなっている。

 ――いや、一人、紺の着物を着た男が、微かに動いた。

「生きてる!」

 コウは慌てて男に駆け寄り、屈みこんだ。

「しっかりしてください! もう大丈夫ですから!」

 息があることを確かめると、怪我の位置を確かめようと、身体を見る。
 男は肩口から大量に血を流していた。

(……っ、これは……)

 微かに変色した傷口と、多量の出血。
 一目で、助かる見込みが薄いと分かってしまうほど、男は重症だった。
 それでも布袋から厚めの布を取り出すと、止血すべく男の肩に当てた。

「――っ」
「! 何ですか? 何が言いたいんですか?」

 男が、ひゅーひゅーと漏れる息と共に、口を動かしているのを感じたコウは、布袋から消毒酒を取り出しながら男の顔に耳を近づける。

「――、こへ……」

 男の言葉は中々文にならなかったが、コウは手を動かしながら何も言わずに耳を澄ませていた。


「――にし、へ……ひめ、さま……まだ敵に……」


 男は、それだけ言うと、持てる生命力まで全て使い切るように腕を持ち上げ、手当てするコウの腕を掴んだ。
 温かい、血のついた手が、痛いほどに彼女の手を握った。

「頼む……、助け、て――く……」
「! ダメです、諦めないで――!」

 男はがくりと力を失って動かなくなり、二度と息を返しはしなかった。

「っ」

 コウは顔を顰めて男から手を離すと、重い心を払うように顔を振り、さらに西に顔を向けた。
 ごく小さな、風の音にさえ負けそうな程微かに、西から金属の音がした。

 男が言いたかったのは、きっと、この西にいる“ひめさま”を助けてくれということ。

 コウは、一瞬だけ男を見下ろすと、疲労した心身に鞭を入れて、再び走り出した。





 コウは今度は、細心の注意を払って、山を西へ下った。

「西の方って言われても――」

 よく分からない状況下に置かれて、思わずコウの口から愚痴らしきもの零れる。
 彼女に分かっている事と言えば、恐らく二組が対立し、武器を持ち出すほどの規模になっていること。黒装束の者たちに“ひめさま”が狙われていること。
 ……その二点だけだ。

(事情は分からないけど、今わの言葉を聞いちゃったしなぁ……)

 ――偶然居合わせただけだが、最期の言葉を聞いてしまったのは確かだ。
 コウは、それを無視できないだけの理由があった。

「! あそこだ!」

 先ほどからちらほらと聞こえていた金属音、その発生源を、視界の端で捕らえた。
 しかし、相手は確かに人を殺している連中だ。迂闊に飛び込むことはできない。

 そう考え、コウが手近な木の後ろに隠れたときだった。

「うぁあああっ!!」

 男の絶叫が上がった。

 慌てて目をこらせば、草色の着物を着た男が、赤い花を散らして地面に崩れ落ちるところだった。

「カヌチ!!」

 悲痛な、女性の声が、コウの耳まで届いてきた。
 男性を斬り伏せた黒服の男は、刀を持ち上げたまま、地面に膝をついた女性に向き直る。


(――だあ、もう!!)


 その様子に、コウは様子見などと言ってられなくなり、背中に括りつけてあった弓を番え、走り出しながら男の振り上げた腕に向かって矢を放った。

「ぐぁああっ!!」

 矢は命中し、細身の矢で射られた男は、刀を落としてしゃがみ込んだ。
 鬼のような形相で顔を上げ、予期せぬ乱入者を見つけようと躍起になっている。

 コウは斜面を駆け下りると、男と女性の間に割って入る。
 男に相対し、脇差を正面から構えた。

「きさ、貴様あっ!!」

 男は刀を取ろうとするも、コウが射た特別な弓は、男の両腕に突き刺さっていた。
 コウは目の前の男を警戒しつつも、すぐ後ろにいる女性に声をかけた。

「貴女は無――」

 そして、コウは間近で見た女性の姿に、思わず声を無くした。

 長い、艶やかな黒髪を旅用に纏めたその女性は、一目で上質と分かる鴇色の着物を着た、見たこと無いほどに美しい少女だった。
 その白い肌も、上気した頬も、濃紺の瞳やそれを縁取る長い睫毛も、全てが一級品。
 年の頃は十七・八だが、こんな状況でも気品溢れる面立ちと、不安そうな表情が、相対して余計に綺麗に見えた。

(いやいやいや、こんな状況で見とれてどうする私!)

 コウは自分を叱咤すると、正面に顔を向けてから少女に問いかけた。

「立てる?」

 目の前の男が腕から矢を外そうとしているのを見つめながら、コウは答えを待った。

「は、はい―ー」

 か細い、儚げな声が、後ろから聞こえた。

「――ぁっ!」

 しかしすぐ後に、苦痛を訴える声が、小さく届く。
 コウが振り返れば、少女が腰に手をあて、その綺麗な顔を曇らせて身体を曲げていた。

「! 貴女――」

 少女の背中からは、それが着物の色だと誤解されるほど多量に、血が流れていた。

(返り血――違う、これは、この子の血だ)

 着物は背中の中央部分が斜めに切られており、そこからは先ほど息絶えた男のように、僅かに変色した肌が見えた。
 先ほどの男と同じ――もしくは、それよりも酷い傷。
 生きているのが不思議なほど深い怪我を、彼女は負っていた。

(どうしよう――でも、こんなところに何時までもいる訳にはいかない……!)

 コウは、正面の男が震えながらも矢を外さんと姿を見て、意志を固めた。
 こんなに細い子だ、きっと大丈夫……そう自分に言うと、少女を抱き上げようと手を伸ばした。
 体力だけは、悲しいことに無駄にあった。

「ちょっと我慢して――危ない!!」

 彼女の肩に触れる寸前、コウは二人に影が落ちたのを感じた。
 とっさに顔を上げれば、黒装束の男がもう一人、少女に刀を振り下ろす所だった。

 金属の悲鳴が聞こえる。

 コウは、抜き身のままだった脇差を下から振り上げ、男の刀を防いだ。
 そのまま全力で、男の剣を横に弾く。

(――お師様、感謝します!)

 武器を作る者が武器を扱えなくてどうする――そう言って、拷問じゃないかと頭を疑いたくなるほど、みっちり修行させられた日々が、走馬灯の如く脳内を巡る。
 
 コウは、そのまま立ち位置をずらし、二人目の男と少女の間に立ち塞がるように脇差を構えた。
 もう一人の男も気になるが、剣が握れるような傷ではない。

(“殺したくないなら刃向かえなくなる程度に痛めつけとけ”……お師様、聞いたときに何つー鬼だと思って御免なさい)

 心の中で師匠に謝罪しつつ、コウは新たな敵に斬りかかった。
 業物なのであろう相手の刀は、澄んだ音を立ててコウの刃を受け止める。

「何の、ために……っ、この子を狙うんですか……!」

 可愛い女の子は世の宝。自分が平凡な顔つきをしている上に、男くさい生活を男むさい師匠と二人きりでしてきたコウは、そう心に決めていた。
 つまり、女の子を理由無く狙うなど彼女の世界ではありえない。

「――貴様には関係の無いこと……邪魔立てするならば、斬る」

 相手から、低い声で返事が来た。
 同時に、重い一撃がコウに加わる。

「ぅく……っ!」

 その一撃をどうにか往なすと、コウは柄を握り直し、逆に攻撃を仕掛けた。
 数回刃が交わった時には、コウの手首にじくじくと痛みが憑りついていた。

(この人、滅茶苦茶強い……!!)

 既に、コウは相手の攻撃を受け流すだけが精一杯で、攻撃に打って出ることなど不可能になっていた。

「っ!」

 気を抜いた瞬間に即、命を落とす――それほど極限の位置に、コウは立たされていた。

「――中々、やるな」

 男が、僅かに口角を上げた。
 それは、良く出来たと子供を褒める親のようでも、遊び相手が出来たと悦ぶ幼子のようでもあり、コウは背筋が寒くなった。

「しかし、此処までだ」
「!?」

 ぼそりと、相手が呟いた。
 声と同時に刃が交わった直後、相手の刀はさらに力を加え、コウに圧し掛かってきた。
 押さえ込もうと抵抗するも束の間、コウの刀は、ガチャリと音を立てて、吹き飛んだ。
 あくまで女性であるコウは、相手の重い一撃を今度は受けきれなかったのだ。

「惜しむはこの状況、か」

 男は何事も無かったように――それこそ息すら乱さずに、無防備になったコウに刀を振り上げた。

(――死んじゃう、の………?)

 見習いとはいえ鍛冶師であるコウは、男の苦しいほどに妖しく輝く切っ先を見ながら、そう思った。

「お師様……ごめんなさい」

 そう呟くと同時に、男の刀が真っ直ぐコウに向かって振り下ろされるのを見た。


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